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インドの記憶 1

  • 執筆者の写真: Hiroo Mizushiro
    Hiroo Mizushiro
  • 2020年1月27日
  • 読了時間: 3分

更新日:2020年2月5日

インドの滞在から早いものでもうすぐ、5年という月日が過ぎようとしている。


その間、平成から令和に時代は変わり、まだ先と思っていたオリンピックも翌年に迫っている。自然災害は猛威をふるい、地震だけでなく、台風による災害は日本に大きなダメージを与えた。


温暖化の影響もあるであろう、しかし平穏な気候がずっと続く、などということは幻想であるということに改めて気づかされた。


ちょっとした地球の変化によって、いとも簡単に私たちの社会は脅威にさらされる。手塚治虫氏の「ガラスの地球を救え」という著書がある。人間が快適に住めるような地球環境は、薄氷の上の、本当に絶妙なバランスの上に成り立っていて、そのバランスは簡単に崩れてしまう、そしてそのガラスの地球は人間だけのものではなく、生きとし生けるもの全てのものなのだから、人間には自然環境を守る責務がある、ということを30年も前に、かなり切実に訴えていた。私は10代の頃これを読んで、ずっと心のどこかに、このメッセージが残っていた。そして30年後に再び読み返すと、当時書かれた手塚治虫氏の未来予測は、その多くが現実のものになっている。(著書では、独断と偏見に満ちた未来予測、と前置きをしており、書かれた当時はまだ現実味が薄かったかもしれないが、現実の「未来」はより、悪い方向に進んでいる、と思わざるを得なかった。)そしてその予測の正確さに、改めて驚かされた。


インドで生活し、環境にある程度慣れてしまったので、久方ぶりにインドから日本に帰国した直後は、まずゴミのほとんどないきれいな街に感嘆し、また日本の電車はあれだけ人が乗っているにもかかわらず、電車内があまりにも静かで、不気味に感じた事を覚えている。なぜならインドは日本のそれとは間逆だからだ。街にはゴミがあふれ、ゴミだけでなく生き物の死骸も落ちている。(特につぶれたネズミが多い、車にひかれた犬もときどき見る。)電車は乗るのにも結構な気合いが必要だし、ようやくの思いで乗りこめば、(時間帯にもよるが)黙っている人がいない、といった方がふさわしい。扉は無いし、暑いので天井には大量の扇風機がまわり、とにかく混んでいるので、乗って、降りるだけでも軽くスポーツでもしたかのような気持ちにさせられる。人がいない場合を除いて静かな電車、というのはまず、無い。そしてそれが日常の風景だ。


当然、街が汚いよりはきれいな方が良いし、うるさいよりも静かな方がいい、とはだれしもが思うことだだが、じゃあ日本の方が100%良い、と言いきれない部分がある。そのことを帰国して良く考える。


日本の公共施設はきれいに整備してあり、その表層はコンクリートや鉄、ガラス、サイディングや、様々なタイルなどで覆われている。そしてそれらのほとんどは輸入建材だ。かっこよくて、きれいな建材がいくらでも選べる。


そこには人々に対する思いやりから生まれたものではない、経済性と責任回避の論理から生まれたデザインにあふれている。「きれいに作っていますが、あなたのためではありません」という無言のメッセージが感じ取れる。そして、私たちはそれらに囲まれて生活をしている。


自分も設計を行う立場からからして、個々の建物はそれぞれ頑張っているものも多いのだが、街全体の印象となると日本の都市は特にその印象が強い。きれいだけど、つるりとして心に引っかかるものがなく、どこか冷たい、というのが日本の新しい街の印象だ。災害の多い国としてやむをえない部分はあるかと思うが、何かその無機質というか、心の無さというものを感じざるを得ない。


一方で、自然発生的に出来たなんとか横町とか、バラック建物が並んだ風景というのは、開発によって次第に姿を消しつつあるが、どこほっとする部分があるのも事実だ。

ではインドはどうか。(2へ続く)


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空港からみる、美しい最後のインドの夕日

 
 
 

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