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インドの記憶2

  • 執筆者の写真: Hiroo Mizushiro
    Hiroo Mizushiro
  • 2020年10月29日
  • 読了時間: 4分

私がインドに滞在していた頃(2014年から2015年にかけて)は、大きな土木工事をあちこちでやっていたり、ムンバイ国際空港につながる日本の技術が入った大規模なメトロの工事(メトロと言っても地下に潜らず、地上部分が多かった)を進めていたりで、道路や下水、鉄道といったインフラをどんどん進めている様子は、まるで日本の高度成長期を感じさせるものであった。


私は高度成長期後の生まれなので、この時代の変化を実体験としては持っていないのだが、しかしおそらく日本もこんな感じであったのではないか、と思いながら変わりゆく街を見ていた。古い道路や道が次々に解体されて、新しく作り変えられてゆく様は、どこか暴力的な強引さによって推し進められているように見える。「立ちどまっていられるか」と言わんばかりに、街の様相は日に日に変わっていく。この開発のさなかでは弱者は顧みられることはなく、強者の論理で街は作り変えられてゆく。街に点在する小さなスラムは、どこか別の場所へ追いやられているのであろう。もしくは工事が終わったころにまた適当な隙間を見つけて戻ってくるのかもしれない。


きれいだけど、人間味が感じられないのが現在の日本の都市の表情だとすれば、その理由として考えられるのは「遊び」が無い、ということだろう。ここでいう「遊び」は自転車やバイクのチェーンやケーブルに設けられる「遊び」と同意義だ。これがなければ機械は動くものの、オンかオフの選択しかなく、その中間がなくなってしまい、常に緊張している状態になってしまう。しかしここに「遊び」を設けることで、それを使用する人間に合わせることができるわけだ。あまりタイトな操作が苦手な人は多めに「遊び」を設けることで、操作に余裕を持たせ、クイックレスポンスが性に合う、という人は「遊び」を少なくする、といった具合だろう。


この「遊び」の部分が、人の個性や特性を反映できる部分であるならば、「遊び」が無い都市では、人々が常にオンかオフでしかいられない、緊張を強いられる状況になる、という意味になる。しかし狭い国土の日本では、特に都市部では、はがき一枚の大きさの土地でも60万などという場所もあり、高価な土地をできるだけ使おう(利益にしよう)となるのはある程度は仕方のないことでもあり、そのような背景が遊びのない緊張状態を作り上げている、といえそうだ。

その点インドは都市には(州によって違いはあるものの)「遊び」というか「抜け」が多い。そういった場所にはいつの間にか人が入り込み、バラックを立てたり物を売ったりしてる。そして犬も昼寝をしはじめたりする。都市の隙間に存在する「遊び」が人間の個性を表現する場として、または緊張を和らげる緩衝材として機能しているのであろう。


しかしそれだけではなく、インド人の生きる力のたくましさが、それに加わってゆく。生きてゆくのに厳しい環境だけれど、様々な動物たちが共存し、人がいればそこには必ず神が祀られる。信仰深いインドの人々は、毎日音楽に合わせて神々と交信している。そして動物たちは神々の世界にも重要な役目を持って多く登場する。そしてこれらは「遊び」ではなく、人生そのものであるので、むしろ都市が彼らにとっては「遊び」の空間となるわけで、その逆はあり得ない。


その逆の状況がもし現在の日本の都市で起きている、と仮定すれば、その中で人々が生きづらいと感じる状況が生まれてくるのは当然であり、都市のための都市になっていないだろうか、人間が置き去りにされていないだろうか、と考えさせられることがとても多い。

少なくとも人間以外の動物たちに対する視点は決定的にかけていると言わざるを得ない。自分達がお金と愛情をかけているペット以外にも、多くの動物、植物も存在しているのだということを忘れてはならない。土地の売り買いは、人間の間だけで行われているのであって、神と約束をしたわけではないからだ。


インドというフィルターを通して日本を見ると、見えてくるものがある。


自分以外の存在を想像する力、目には見えないが、細かい蜘蛛の糸のようにすべての事象はつながっている、ということを忘れてはならない。

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オープンエアー?の鉄道よりムンバイの街を俯瞰する。




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街中で出会う動物たち。

私がいつも歩いていた、メインロードのわきにある、15分程度の道だが、その間にたくさんの動物たちに出会う。この牛は時々ここにいて、ごみの中の食べ物を食べたりしていた。



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犬はそれこそ数えきれないほど街中にいるが、日本と違うのは、ほとんどが野良犬だ。リードでつながれて散歩している犬の方が少ない。最初にインドについたとき、狂犬病の注射をしてこなかったことを悔やんだほどだ。しかし、人はそれ以上に多いので心配は杞憂に終わった。

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いつもつながれているヤギ。穏やかな顔をしている。

 
 
 

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