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檸檬の時代、そして今

  • 執筆者の写真: Hiroo Mizushiro
    Hiroo Mizushiro
  • 2021年10月25日
  • 読了時間: 3分

更新日:7月3日

鎌倉駅近くの東急ストアの外で、時々古本市場を開いている事がある。


規模は小さいが、鎌倉ならではの掘り出し物があるのでは?と思い、偶然見つけた時にはちょっと立ち寄るのがささやかな楽しみでもある。

ある日の夕方、この市場の文庫コーナーで梶井基次郎の「檸檬」を見つけた。昭和60年発行の文庫で装丁が抽象画のようでレトロな雰囲気がある。恥ずかしながら梶井基次郎は教科書でしか見たことが無く、明治の人のいかつい骨格をした顔と、その代表作の「檸檬」という言葉の持つイメージとのギャップが、子供心にとても印象に残っているだけで、これまできちんと読んだことが無かった。よし、良い機会だと手に取って値段を確認すると100円と鉛筆で書かれている。当時の定価を見ても280円だ。その安さに良くも悪くも感嘆しつつ、購入した。


この文庫本には「檸檬」を含め20篇が掲載されている。「檸檬」が書かれたのは1925年、今からおよそ100年前、梶井基次郎が生きていた日本の風景が、読み進めるとともに目の前にはっきりと現れてくる。梶井基次郎の眼を通して、100年前の日本の街の風景が、電車に乗る梶井基次郎の目の前にいる女の姿が、はっきりと私の目の前に浮かんでくるようだった。時代とともに梶井基次郎の見ていた景色は変わってしまったが、日本は意外と道路などの骨格はそのまま残っている事が多いので、どこか私たちの心にある懐かしい風景というものが、梶井基次郎を読むことによってその輪郭がはっきりと見えてくる、という感覚を覚える。


また、当時は肺病が流行している時代で、梶井自身も肺病に冒され、31歳という若さで亡くなったが、結核、肺病に苦しむ描写が随所に出てくる。肺病を抱えながら、小説を書き続けていた姿が見えてくる。そしてもう克服した、と勝手に思い込んでいた結核などの感染症は、新型コロナという新しい名前で、突然私たちの前に現れた。遥か昔の教科書の中の出来事だと思っていたスペイン風邪の大流行といった出来事と同じような事が、突如として現在に現れると、情報の波にのまれ、正しい情報が分からずにただ右往左往する自分たちの姿が、ただ浮かび上がってきただけだった。


ユーチューブなどでも、いまは100年前の日本を映像で見ることが出来るし、AIにより色を付けた映像も見ることが出来る。それは確かに100年前の時代の景色なのだろう。ただ、その映像はやはりどこか遠い世界の様に見える。現実のようで、どこかの映画の世界のようだ。仮に色を付けたとしても、何となくしっくりこない。しかし、梶井基次郎の眼を通して浮かび上がる当時の姿は、人々の息遣いも、着ている服の毛羽立ちや染みまでもが見えてくるようで、その描写力に驚くとともに、実際の映像よりも、多くのものを私達に伝えることのできる文章の力というものを、改めて感じさせるのだった。記録された映像というものは、実はごく表層的な部分しか記録されておらず、それだけでわかったような気分になるのは、大きな勘違いなのかもしれない。「本当に大事なものは、目に見えないんだよ。」という言葉を思い出す。


私達は、ある景色を眺めている時にただその映像を見ているだけではなく、空気や風、匂い、人々の雑踏、その場所が持つ磁力、、、など映像には記録できない多くのものを同時に感じている。それを情緒、情感というのかもしれない。しかしそれを人に伝えることは難しい。梶井基次郎の文章は、その見えない部分を私達に伝えてくれている。


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